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東京陰陽師 ~天現寺橋怜の場合~ 上大崎優 小番外 [日文]

 

這是被我稱爲「結婚典禮」的小番外おまけ。

 


 

【司祭】「愛は寛容にして慈悲あり、愛はねたまず、愛は誇らず――――」

聖書・コリント前書十三章が響き、司祭が祈りを捧げる。

【司祭】「――――健やかな時も病める時も、この人を愛し、敬い、なぐさめ、助け、命の限りかたく節操を守り共に生きることを……誓いますか」

【上大崎】「――誓います」

【天現寺橋】「……誓います」

【司祭】「それでは指輪の交換を――」

神父の恭しくも潤いのある声で、淡々と告げる。

白が基調のステンドグラスが光輝くチャペル、バージンロードに敷きつめられたピンクローズの花びら。

眩い光と賛美歌の祝福を浴びながら、上大崎と天現寺橋は指輪の交換をした。

そして誓いのキスを交わす前に、クリスタル製の結婚証明書に誓いのサインを書き込んでいく。

差し出された聖書に感謝の祈りを捧げ、司祭の言葉に耳を傾けた。

ここまでは予定通り……順調だ。

【上大崎】(「……ねぇ、怜。特に異常はない……?」)

【天現寺橋】(「ん……腰が痛い。主にこのクソ長いウィッグの所為で」)

【上大崎】(「ああもう、それは後で謝るから!……そうじゃなくて、危険な気配はないかって聞いてるの」)

【天現寺橋】(「そんな事分かっている。大丈夫だ……今のところは」)

【上大崎】(「もう、文句を言う前に先にそっちを言ってよね。でも、それなら挙式は順調に終われるかな……?」)

【天現寺橋】(「終わってどうするんだ。僕がこんな格好してるんだぞ。出てきて貰わないと僕の気が収まらない」)

【上大崎】(「……何言ってるんだよ。何事もないのが一番だろ」)

【天現寺橋】(「……まあ、そうかもしれないが。でも、もう奴はすでに此処に居るんじゃないかな?」)

【上大崎】(「……え、どういう事?」)

【天現寺橋】(「……こういう輩は自分の目で相手が破滅するのを見たがる。つまりは、絶対にこの場に居なきゃいけない。でも途中参加は認められていない……」)

【上大崎】(「あ、そっか。じゃあ……」)

【天現寺橋】(「ああ……、参列者に招かれざる客が紛れ込んでるだろうね」)

そう言って、天現寺橋はベール越しにちらりと参列者を見た。

――そして突然だが、時は数日前に遡る。

【天現寺橋】「……は? 僕が女装?」

思わず素っ頓狂な声が上がる。予想だにしていない提案に、天現寺橋は湯呑みを落としそうになった。

【天現寺橋】「何でそんな事になってるんだ?」

【上大崎】「いや、実は依頼を受けたんだ……。陰陽師を名乗るストーカー男から今度結婚する花嫁を守ってくれって……これ」

スーツの内ポケットから上大崎が取り出したのは、紅い封蝋で閉じられた黒い封筒。

封蝋は砕けているところを見ると、一度は開封されたのだろう。

上大崎の口ぶりからして、その手紙には碌でもない事が書いてあるに違いない。

本来なら読みたくないが、天現寺橋は渋々受け取って中身に目を通した。

『「ご結婚おめでとうございます。つきましては、結婚式当日、貴女を奪いに行かせていただきます。新郎を殺して、君の隣に新郎として僕が立とう」』

綺麗な文字で簡潔に綴られてはいるが、内容は明らかな犯行予告だった。

おまけに、呪詛の念をかけた符までご丁寧に添えられている。自分本位な狂気が気持ち悪い。封筒の上に手紙を投げ捨てるように置いた。

【上大崎】「呪詛の力は弱かったから上流の陰陽師ではないだろうけど、結婚式当日も警戒しようという話になってね。それで、きみに手伝って貰おうって思ってさ……」

【天現寺橋】「いや、協力するのは構わないが……、それが何で僕が女役する事になるんだよ」

当然の疑問である。この依頼のどこに、天現寺橋が女装する必要性があるのだろうか。

上大崎は天現寺橋の言葉に一瞬困惑したように眉を寄せ、けれどすぐに苦笑すると、とんでもない言葉を天現寺橋に浴びせてきた。

【上大崎】「きみに花嫁役になって貰いたいんだ」

【天現寺橋】「……はあ?」

訳が分からない、とそう唸る。

【上大崎】「いや、直接ストーカー男を花嫁に合わせるのは危険だろ。だから僕と怜が新郎新婦に変装して、別の会場で男を誘き寄せてくれって言われて……」

【天現寺橋】「知らん。やらない」

即座に拒否反応を示し、明後日の方を向く。

心底嫌だと思い切り眉を顰めた天現寺橋に、上大崎は困ったように頬を掻いた。

【上大崎】「ほんの三十分程度我慢すればいいんだよ。きみだって協力してくれるって言っただろ」

【天現寺橋】「……じゃあ、百歩譲ってせめて新郎役だ。花嫁役はきみがやればいいだろう?」

【上大崎】「え。でも、僕の方が背が高いし……」

【天現寺橋】「一七八センチと一七五センチなんて、大した差じゃ無い。ヒールを履けばいくらでも誤魔化せる身長だ」

困惑する上大崎にきっぱりと言い切る。腕組んで睨み付けると、上大崎は見るからに落ち込んだ。

首がしゅんと項垂れ、そのまま、まんじりとした時間が流れる。

これで話は打ち止めだろうと思ったのだが、そうはいかないとばかりに上大崎は目を伏せ、両中指を弄りながらも控えめに抗議をした。

【上大崎】「け、けどさ……もうやるって先方には話してるし……」

【上大崎】「……それに、この囮を決行する場所って教会なんだ。つまり、擬似的でもきみと結婚式を挙げることになって……、だから、その……やっぱり、怜の花嫁ドレス姿、見たいなぁって………」

【天現寺橋】「なっ……」

上大崎のセリフに思わず頬が赤くなる。何を恥ずかしい事を言ってるのだと、言葉に詰まってしまう。

【天現寺橋】「……し、しかしだな。……幾ら顔が隠れるといっても、やはり一七〇センチ以上ある男が女性役は無理が……」

【上大崎】「大丈夫、花嫁はモデルさんだから。――駄目?」

子供のように首を傾げ詰め寄る眼差しに、天現寺橋は顔を顰めた。甘えた口調に戸惑う。

ずるい、そう天現寺橋は思った。

こうした上大崎の縋るような眸はいつも天現寺橋を焦らし、彼を放っておけない気持ちにさせる。

そして、頷かなければ上大崎はあからさまにガッカリするだろう。それは一目瞭然だった。

【天現寺橋】「……駄目だ」

それなのについ、わざとつんけんした物言いになってしまう。天の邪鬼な性格は、心が通じ合った今でも変わる事無く、健全だ。

【上大崎】「怜ぃ……」

けれど、情けない声をさせながら項垂れる上大崎を見て、どこか罪悪感が募った。

気まずく沈んだ雰囲気に溜息をひとつ挟み、天現寺橋は口調を変える。

【天現寺橋】「……抑も、そんなふざけた依頼誰からだよ。女装なんてアイディア普通男に提示しないぞ」

【上大崎】「ああ……僕の父親だよ」

【天現寺橋】「え……?」

一瞬、時が止まったようだった。

上大崎の口から次いでた、“父親”という単語に肩が僅かに跳ねる。視線を合わすと上大崎は申し訳なさそうに頷いた。

そして、封筒の裏に書かれた女性の名前を指差す。

【上大崎】「因みに結婚するこの女性は、陰陽師の力は持っていないけど……僕の再従姉なんだ」

【天現寺橋】「……あ、ああ、そうか。なら、この人の結婚式には」

【上大崎】「当然父さんも出る。だから僕に依頼が来たんだ。怜を指名したのも父さんだよ……」

うっ、と顔を顰め視線を外した。予想だにしていない依頼者に否定の意志が揺らぐ。

厳つい感じの上大崎とは正反対で、本流宗家の当主として威厳がある人物だ。

そんな彼は「憑き物筋」事件後から、二人の関係を認めているとまではいかないまでも、ひとまず見守ってはくれている。

そんな相手からの依頼だと言われれば……、

【上大崎】「……怜?」

【天現寺橋】「………………………………」

【天現寺橋】「………………………………」

暫しの沈黙の後、嘆息する。

【天現寺橋】「わかった……やるよ」

逆らえぬ相手の依頼に、天現寺橋は折れるしかなかった。

【天現寺橋】(「あれから本当にあれよあれよと準備が進められて。教会の予約にドレスやウィッグ、参列者まで。よくあの短期間に用意できたよな……さすが上大崎家というべきか」)

一週間あまりでこの舞台を用意してしまった。

――――そう、ここは表参道にある教会。

結局、渋々ながらもウエディングドレスを身に纏い、天現寺橋は恥を忍んで此処に立っている。

今頃、首尾良く進められた本当の結婚式は帝剋ホテルにて無事あげられているだろう。

あとはストーカー男が早く現れてくれれば事が進むのだが、どうも用心深いのか、それとも男なりの拘りがあるのか。式が始まっても一向に姿を現さない。

おかげで形式に則って、天現寺橋と上大崎は本当の新郎新婦のように、誓いのキスまでしてしまった。

これで男が現れなければ、天現寺橋はいい見世物で終わってしまう。それだけは避けたかった。

【司祭】「――主、イエスキリストの御名によってお祈り致します。……アーメン」

【上大崎】「アーメン……」

【天現寺橋】「……アーメン」

最後の祈りをしながら、天現寺橋はちらちらと無しに上大崎を見上げる。

上大崎は英国貴族御用達のタキシードが、何ともよく似合っていた。

立ち姿は凜々しく、花嫁を気遣うように手が添えられている姿も絵になる。それはどこから見ても、立派な新郎の姿そのものだった。

【天現寺橋】(「……でも、お互い変装しているし、変な感じだ……。……優はどう思ってるんだろうか……」)

【上大崎】「……ん?」

ふと、眸が重なり合う。上大崎が周りに気付かれないよう、僅かに近寄った。

【上大崎】(「……何?」)

【天現寺橋】(「……別に。きみが何だか七五三みたいだなって、思っていただけだよ」)

【上大崎】(「うわー……酷いな」)

【天現寺橋】(「ふん……、本当の事だろ……」)

【上大崎】(「まあ、いいけど。花婿なんて花嫁のおまけみたいなものだからね。……でも、怜は綺麗だよ」)

【天現寺橋】「……ッ……!?」

【天現寺橋】(「きみ、何言って……」)

【上大崎】(「綺麗だよ、すごく。見られて良かった」)

【天現寺橋】「…………」

あまりに上大崎が嬉しそうに微笑んだので、今まで恥ずかしいだけだったこの姿が、何だか満更じゃない気分になってくる。

全く以て現金な自身に、天現寺橋は嘆息した。

【司会者】『「――では、これで挙式も無事に終え、新郎新婦は退場となるのですが。……その前に二人の馴れ初めをお話しましょう」』

突然、司会進行をしていた男がにこやかに、新郎新婦の出会いから結婚までを懇切丁寧に話し始める。

こういうものは披露宴でやるものだと思っていた天現寺橋は、首を捻り上大崎を見やる。

聞いていた進行とは流れが異なる。

【天現寺橋】(「何か変更があったのか?」)

【上大崎】(「いや、僕も知らないよ」)

上大崎も存ぜぬと、首を横に振った。

妙なものを感じつつ、司会者が話す新郎新婦の物語に、取り敢えず黙って耳を傾けることにする。

どうやら彼女達は出会って半年のスピード婚らしい。

【司会者】『「半年――、半年だなんて本当に早いですよね!それでも新郎新婦は愛を育み、此処に至るのです」』

【天現寺橋】(「……半年か。確かに、よくそんな短期間で結婚まで決められるよな。こっちなんて学生時代に出会ってるっていうのにねぇ……」)

嫉妬に近い感情がめらっ、と揺らめく。

紆余曲折の上、やっとで互いの気持ちを理解した己達とはあまりにかけ離れた恋愛模様に、羨ましくも眩しくもあり、そして――。

【司会者】『「――――憎らしい」』

【天現寺橋】(「……え?」)

心情を読まれたのかと思い、天現寺橋は驚く。

しかし、どうやらそうではないらしい。

【司会者】「本当に憎たらしいですよね! 僕なんて、一年以上前から彼女が好きだったのに。ずっと、ずっとずっとずっとずっと見守っていたのに! それなのに!」

司会者の話している内容が、徐々におかしなものに変わっていく。

大声で新郎を誹謗中傷、思いつく限りの罵詈雑言で罵倒し、新婦に粘っこく偏った愛の言葉を捧げる。

剣呑な雰囲気が教会内に漂った。

【天現寺橋】(「ストーカーの陰陽師って、こいつか……」)

【司会者】「でも、大丈夫です! なぜなら今日、新婦は新たな新郎と共に旅立っていくからです! そう、この僕と!」

――――その瞬間、男は符を取り出した。

しかし、男が術を発動する前に、参拝客はそれを素早く察してチャペルから飛び出す。

ストーカーが現れた際は邪魔にならない行動をするよう、前もって指示されているからだ。

さすが上大崎父が用意した有能なスタッフだと、天現寺橋は感心した。

天現寺橋と上大崎しか居なくなった会場は、異様な静けさに包まれる。パイプオルガンの音すら今はない。

【司会者】「な、なんだ、これ……」

騙されて誘き寄せられたなんて知る由も無いストーカーは、右往左往してたじろいでいる。

それも当然だろう。上大崎は男の置かれた状況を簡潔に説明した。

【上大崎】「残念だったね。この結婚式はダミー……。きみを捕まえるための芝居だよ」

【司会者】「な……っ、……」

【天現寺橋】「どう? 降参して大人しく掴まるかい?」

【司会者】「……誰がっ! お前らを適当にいたぶって、本当の結婚式会場を聞き出すさ……。早くしないと……彼女が俺の迎えを待ってるんだ……」

【天現寺橋】「ふむ、そうか……。ならば、仕方が無いな」

天現寺橋は柔らかく微笑んだ。

だが、その心境は冷ややかなものだ。自己中心的な感情を愛と意味づける相手に、軽い嫌悪感を抱いていたからだ。

醜い感情を見ると、天現寺橋の中で何かが燻るのだ。

そんな気持ちを誤魔化すように、重いプリンセスドレスを蹴るようにして歩み寄った。

【天現寺橋】「……さーて、さっさと片付けて、この重いウィッグとドレスにおさらばしようかな」

【司会者】「……、そうは行くか……」

男は、逃げ場を失い戸惑っていながらも、まだ好戦的な色合いを失っていない。

天現寺橋も応戦する為に、ビスチェタイプの胸元に手を突っ込んで、隠していた符を取り出した。

【上大崎】「ど、どこから取り出してるんだよっ!?」

その様子を見て取り乱したのは上大崎で、顔を真っ赤にして叫ぶ。

【天現寺橋】「煩いなぁ……。ここしか隠す場所が無かったんだよ。ほら、ぐだぐだ言ってないでいくぞ」

どこまでも心配性な上大崎の言葉をすげなく交わす。次の瞬間、天現寺橋は符を切った。

【天現寺橋】「あー……疲れた」

【上大崎】「あー、もう取っちゃうのウィッグ。似合ってたのに勿体ないなぁ」

【天現寺橋】「冗談だろ。これ以上被ってたら肩凝りが酷くなる。それでなくともドレスは重いし、全身ガチガチだよ」

【上大崎】「でも、思ったよりあっさり片付いて良かったじゃない」

【天現寺橋】「そうだけど、疲れたものは疲れたんだよ。あー……しんどい。少しソファに横になっていいか?」

【上大崎】「あ、じゃあ僕も……」

【天現寺橋】「はぁ……やっと横になれた……」

天現寺橋は息を吐きながら、上大崎の腕に頬を寄せる。

筋張ってごつごつしているので気持ち良くはないが、こうして身を寄せ合うのは中々悪くなかった。

【天現寺橋】「挙式をするって、こんなに大変だと思わなかったよ」

朝早くからドレスを着てメイクをして、花嫁としてバージンロードも歩いて……、普通の男性ならする事はないだろう体験を今日一日で幾つもした。

挙げ句、ストーカー男の相手までして、散々だった。

【天現寺橋】「大体にしてあのストーカー、一目惚れで付き纏った挙げ句、勝手に嫉妬して事件とかふざけているのかと殺意が湧いた」

【上大崎】「……はは」

【天現寺橋】「僕は本気だよ。あいつを止めるために女装までして、僕は恥ずかしさで死ぬかもしれない……」

うう、と大げさに顔を両手で覆う。上大崎はその手首を掴んで優しく左右に割った。

【上大崎】「死ぬなんて言うなよな……」

【天現寺橋】「何だ、寂しいのか?」

【上大崎】「そりゃあそうだよ。きみに逢えなくなるのは、もう御免だよ……」

遠い目で、上大崎はぼうっと光を見上げる。それはひどく遠くを彷徨っているようだった。

【天現寺橋】「何を見てるんだ……」

【上大崎】「……いや、どこも」

見ていない、と上大崎は首を横に振った。その代わり瞼を閉じると、意を決したように口を開いた。

【上大崎】「……実はさ。僕、少しだけあの男の気持ちが分かるんだよね」

【天現寺橋】「きみが……?」

【上大崎】「うん。怜が僕以外の誰かと結婚する事になったら、多分僕も嫉妬でおかしくなっちゃうだろうからさ……。きっと、きみの幸せを願ってあげることはできないと思う」

懺悔室で告解する教徒のように、贖罪を求めるように、――――上大崎は囁く。

そんな偽りのない本音をひとつも聞き漏らしたくなくて、吐息すら漏らさないように天現寺橋はそっと耳を傾けた。

【上大崎】「最低だって分かっていながらもきみを雁字搦めにして、あの男よりも酷い方法で怜を僕から逃がさない」

【上大崎】「何か僕、好きになるほど酷い事を考えてる……ごめんね」

上大崎の声は震え、どこか湿り気を帯びている。こぼれ落ちる本音が嬉しいのに、どこか切なくなる。

それでも、仄かに揺れる睫毛が可哀想で愛おしくて、甘ったるい庇護欲を掻き立てられ、ついその頬に触れてしまう。

擽ったそうに息を吐く、それすらも愛おしくて恋人を意識させる。

【天現寺橋】「…………優」

胸が締め付けられたように苦しくなり、上大崎に見られないよう唇を噛み締める。

肩を掴む指に無意識に力を込めた。

【天現寺橋】(「それは僕も一緒だよ……」)

人を好きになればなるほど、どうにも己の気持ちと矛盾している事が多く不思議だと思う。

上大崎といる時間はとびきり蜂蜜のように甘く、カラフルなお菓子のように楽しく美味しい。

けれど、それを食べれば食べるほど、味わえば味わうほど、足りなくなる。

もっともっと欲しくなる。

そして、幸せな筈なのに、どうでもいいことで何とはなしに不安になってしまう。

だから独占欲に任して相手を縛ろうとする。

自由にしていて欲しいのに、自由にして欲しくない。

互いにもっと強くなれればいいのに。

けれど知ってしまった幸福は、些細な事で壊れてしまいそうな程、脆くて。

大切にしなければいけないのに。それなのに――――、

【天現寺橋】(「……優、好きだ」)

そう口に出せない己は、莫迦だ。

小さい頃から我慢することに慣れ、自分が欲しい物は手に入らないと諦める。

その癖が抜けず、素直に愛情をあげる事も求める事もできない。

なのに浅ましい心は、時偶こうしてやってきては、底なしの独占欲を満たそうとする。――厄介極まりない。

それでも安心したくて、傍にいる実感が欲しくて、天現寺橋は身をすり寄せた。

その時、ふわりと甘い匂いが鼻孔を擽った。

【天現寺橋】「え……?」

急な展開に思考がついて行けず、戸惑う。

目を瞬かせて、ピンクローズとリリーのブーケと上大崎を交互に見つめる。

【上大崎】「なんだよ、このブーケ……」

【上大崎】「あ、いや……。あの騒動でチャペルの飾り花がそこら中に落ちてて……。茶番とはいえ花が可哀想だなって思って」

【天現寺橋】「だから拾ったのか?」

【上大崎】「せ、折角だし綺麗だから……?」

【天現寺橋】「……ふーん、そうか。なら、花瓶でも貰って挿しておくか?」

【上大崎】「そうじゃなくて、怜にあげるよ」

【天現寺橋】「え、うちの事務所はあまりそういうの合わないと思うが……」

【上大崎】「……そういう事じゃ無くてさ。鈍いなぁもう……」

求めても得られないことが多すぎたのだろう。

甘やかされる事に慣れていないせいか、与えられる好意に気付かない天現寺橋に、上大崎は歯痒さを隠せない。

大げさに溜息をつくと、上大崎は天現寺橋の腰を引き寄せた。

【上大崎】「花嫁にはウエディングブーケがないと、だろ……」

【天現寺橋】「え……花嫁って……、あ」

【上大崎】「やっと気付いた?」

【天現寺橋】「……っ、……」

気付いたら途端、頬が熱くなる。少し考えればすぐに分かる事だった。

ストーカー男と争ったチャペルは荒れに荒れていて、こんな綺麗なブーケ、落ちていた花のわけないのだ。

きっと事前に用意してソファの下にでも隠して置いたのだろう。そしてタイミングを見計らって渡すために。

上大崎の優しさが身体と心に染み渡る。触れた先から流れ重なる温もりが、心地良かった。

【上大崎】「ねえ、怜……ウエディングブーケって花嫁の象徴で持っているだけじゃないんだよ」

【天現寺橋】「え?」

【上大崎】「――――“花婿からのプロポーズの証”」

ほんの少し照れたように、けれど果てまでも優しく上大崎は微笑む。

【上大崎】「プロポーズする時にはね、愛する人の家までに咲いている野花を摘んでいって、それを束ねて結婚を申し込むんだ。それが、これ……」

上大崎は心底嬉しそうに、ブーケを揺らす。甘い香りが媚薬のように匂い立って、天現寺橋はくらくら、した。

【上大崎】「ねえ、僕がこのブーケを怜に渡す意味、分かる?きみに、ずっと僕の傍に居て欲しいって事だよ」

【天現寺橋】「優……、きみは……何、恥ずかしいことしてるんだよ」

【上大崎】「ふふ、いいじゃない、こういうの。僕は全然、恥ずかしくないよ?」

【天現寺橋】「ほ、本気なのか……?」

【上大崎】「勿論。僕は怜が他の人と結婚するのは嫌だって、さっきも言っただろう。高校の時みたいに怜を手放す気は到底無いんだ」

【天現寺橋】「……優……」

【上大崎】「きみを失う事に怯えてばかりで情けないけど。でも、その代わり、怜が傍に居てくれれば僕は何でも出来る」

【上大崎】「……幸せなんだ」

ソファに掛けられた腕が上がって、優しく頭を撫でられる。その心地良さが泣きたいくらいに愛おしい。

【天現寺橋】「その顔、ずるいよ……」

天現寺橋は頬を上気させ、肩を掴む指に力を込める。

鼻を摺り合わせるように見つめたら、奇妙な疼きが血液に乗って身体中にじりじりと広がる。

この笑顔が、髪が、眸が、唇が、吐息が身体が、全部が天現寺橋を求めているのだ。

それはとても不思議な感覚だった。

でも、悪い気はしない。それどころか……。

【天現寺橋】「…………」

決心して、無言のまま花束からひとつ花をもぐと、上大崎の左胸にそっと置いた。

まだ蕾のピンクローズは、ぎこちなく不器用だが、天現寺橋の愛の誓い。

【上大崎】「えっ……、これってまさかブートニアのつもり?」

驚いて、弾けたように見る上大崎に、天現寺橋はスイと顔を背けた。

【天現寺橋】「……別に、形式に則っただけだ」

天現寺橋は真っ赤な顔で唇を尖らせた。己自身でも嫌になるくらい、全く以て可愛くない態度だと思う。

けれど、上大崎はそれを咎めたり、不愉快そうに顔を歪めたりしなかった。

真摯な眸を向けて、天現寺橋の腕に手を添える。

愛おしげに大切に。割れ物を扱うように、そっと。

【上大崎】「ね、愛してるよ……怜」

【天現寺橋】「……知ってる……」

【上大崎】「ね、怜は? 僕のこと好き?」

唐突に聞かれ躊躇する。これ以上は恥ずかしくて堪らない。

【天現寺橋】「そ、そんなの言わなくても分かる、だろ」

目を逸らしたまま、辛うじてそう言う。天現寺橋の気持ちは、とっくに上大崎も知っている事だ。これだけの言葉で伝わると思った。

いつもならそれで引いてくれる。分かってるよ、など微笑んで。けれど、今回ばかりは様子が違った。

【上大崎】「それでも怜の口から聞きたい」

【天現寺橋】「……う、……」

【上大崎】「ね、お願いだよ怜……」

じっと待ってる上大崎が待てをされている犬みたいで、その哀れを誘うような眸にぐっ、と息が詰まる。腕を握る力が強まった。

――――ああ、逃れられない。

甘えるように頭を額に擦り付けられ、ほろりほろり、と強張った気持ちが融解される。

【天現寺橋】「…………き……」

【上大崎】「何? ……聞こえない」

【天現寺橋】「……す、好きだ、よ……」

聞き取れるか取れないかのささやかな声音で、言葉を紡ぐ。

――――“好きだ”。自身で発した甘ったるい響きに、眸が潤んだ。

【天現寺橋】「優、きみのことが好きだ」

至近距離で視線を絡ませながら、もう一度繰り返す。それが合い言葉になって天現寺橋からキスをした。

【天現寺橋】「……ん、……ぁん、ふ……」

唇を啄むようなキスを繰り返す。

気持ちを伝えるように何度も、何度も。上大崎もまた天現寺橋の唇に吸いついてくる。

【上大崎】「…………ん」

途中、上大崎の左手が頭に乗せられる。

感触を確かめるように髪を何度も指で梳かれ、そして、引き寄せられた。そっと舌を入れて、深く絡ませてくる。

【天現寺橋】「……ふ、っん……」

鼻がかった甘えた声が漏れた。

労るように掠め取られた舌は甘噛みされ、唾液を啜られる。

それはとても優しいキスだった。

唇を離ぜば、甘さと熱を孕んだ眸と交わる。

愛おしげにこちらを見つめてくる視線に、激しく鼓動が波打った。

【上大崎】「……ありがとう。凄く嬉しい」

上大崎の眸には天現寺橋しかいない。

天現寺橋の眸にも上大崎しかいない。

こんな風に、ずっと二人で居たいと願う。

幼い頃から願いつつも、ずっと押し殺してきた想い。けれど完全に消すことも出来ず、心に棘となってチクチクさせてきた願い。

ずっと口に出せなかった言葉が、ついと漏れ出る。

【天現寺橋】「優……、僕から離れるなよ……」

初めて会った時から十数年、――やっと言葉に出来た。ずっと、ずっと……そう言いたかった。

【上大崎】「うん、絶対に離れないよ」

【天現寺橋】「き、嫌いになった、も無しだからな」

【上大崎】「有り得ないね」

額を、ちゅく、と吸われる。大事そうに天現寺橋の身体に触れた。

【上大崎】「ずっとずっと一緒に居よう」

【天現寺橋】「…………うん」

一点の曇りもなく幸せそうな笑顔を向けられれば、さっきまであった不安は消され、独占欲は満たされる。

甘くてふわふわした暖かいものに包まれる。

差し込んだ光が、割れた玻璃のようにキラキラしていて、それを素直に美しいと思える心に驚いた。

こんな気持ちになれるなら、たまには素直になるのも悪くない、なんて。

そう思えるこの瞬間が何よりも幸せ――――。

 


 

不知道會不會翻譯,但是還是要把手頭上的東西忙完才行呢!

不知不覺累積了很多工作,人也病倒了。

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